こんにちは、3/28〜4/4に高円寺で「旅の写真展」をする山城カケルです。
今日は「なんで僕は目標へ遠回りしていたのか」っていう話をしたいと思います。
先に言っておかないといけないのだけど、僕は決して目標へ遠回りしたくて遠回りしていたわけではない。
確かに人生を生きていく上で目標があっても旅の途中で面白いことを思いついたらそこで道草をくうのはありだと思う。
でも、期間が迫っていて、早くそこへ辿り着きたいと思っているのに僕は遠回りをする選択肢を毎度選んでいた。
側から見るとそれ遠回りだよってシンプルに感じることでも僕はそれが最適解だと思ってやっているつもりだった。
バカだよね。
でもね、これを読んでる読者の方も考えてみて欲しい。
多分、多くの人が僕と同じ過ちを繰り返していると思う。
英語が話せるようになりたいと思う人が書店に行って英語の文法書を買ったり、起業したいと言ってる人が一般の資格検定に邁進していたり。
僕の周りでよく見かけるのは海外に行きたいという夢を持っているのに海外で言葉が通じないからと勉強から始める人。
悪いとは思わない。
僕もそう思うこともあるから。
でも、そう考えて何年経ちますか?って質問されたらあなたはどう思うだろうか。
体が自由に動くのは20歳ならせいぜいあと40年くらいかもしれない。
健康に歳を取ってだとしても60になればどこかしら不調が出てくる。
30代になればほとんどの人がアグレッシブさを失い、世間的には馬鹿げたこと、恥ずかしいことができなくなる。
あなたが今20代ならあなたが勉強してからと言い続けてきた3年や5年はどれだけ価値のあるものだっただろうか。
僕は長期の旅に出たいと3年間思い続けた。
コロナだから行けないのだと3年間就職していた。
これは別に普通のことなのだけど、僕にとっては夢を追いかけていない時期だった。
カメラを手放し、お金をただ貯金するだけの日々だった。
お金も溜まっているのに僕は旅に出ようとはしていなかった。でも、相変わらず旅がしたいと思っていた。
その原因はここまで貯めたお金を失いたくなかったからというのと単純に夢を追いかけない生活に慣れてきていたからだ。
夢や目標に直接向き合わず、あたかも向き合っているように振る舞うことは簡単にできる。
自分も他人も騙すことが簡単にできる。
海外に行ってみたいから英語の勉強をしていますといえば見栄えと聞こえはとても良い。
でも、それを完璧にしてからと考えるのは行かない理由を作っているだけだと僕は思う。
僕も今回フライヤーの手渡しを避けるために店舗にフライヤーを置いてもらっていると自分に言い続けた。
店舗においてもらってもそこで誰かが興味を持って取ってくれるとは限らない。
事実、僕が置いてもらった店舗のフライヤーはほとんど減っていないように見える。
ましてや、見えるところに置いてくれていれば良い方で、ほとんどの場合店の端っこやそれじゃ見えないよってところに配置されている。
それは仕方がないことだけど、だから自分で手渡しをした方が良い。
僕はそれを知っていた。
でも、知らない人と一対一で向き合うのが怖かった。
一日中ウロウロして良い場所を探しているフリをしていたこともあった。
何かとやらない理由をつけて自分を納得させようとしてしまう。
これがダメなことくらいわかっていた。
今日、下北沢で手渡しをしようと決意して路上に立った。
声をかけるというこんな小さなことにかなりの勇気が必要なことを知る。
「写真展の案内をしています。よろしくお願いします。」
無視。
僕が声をかけた人は目も合わせてくれなかった。
まるで自分が無価値に感じる。悪いことをしているのかと感じる。
これを何度も続けた。
時々お辞儀をして去っていく人もいる。
でも、大抵は無視されるだけだ。
何度も間違えたことをしているのではないか?僕の写真展に価値があるのかわからないと考える。
そんな時に立ち止まって話を聞いてくれる人が現れる。
その瞬間僕の気持ちは晴れる。
遠くで見ていたお店の店員さんが何のフライヤーですか?と笑顔で話しかけてくれた。
そこから興味を持ってくれてフライヤーを受け取ってくれたりした。
誰かが言っていた。
宣伝には痛みが伴うんだよって。
痛すぎるよ。笑笑
でも、僕は少し楽しいと思う瞬間もある。
小さな変化だけど自分は前に進んでいると実感できる。
写真展を決めてからクラウドファンディングを始めて、宣伝をし始めてから僕の夢を後押ししてくれる人が現れた。
新しくフォローしてくれた人たちも少しずつ増えた。
こんなに嬉しいことはないと僕は思う。
だからこそ、僕は自分の夢から逃げてはいけないし、そういう自分にはなりたくないと思った。
今、カフェで休憩中にこれを書いている。
後半戦もたくさん無視されてきます!笑笑