写真について考えてみた。

カルスで写真を撮ってる時にね、なんか良い瞬間、風景、建物なんだけど写真にすると全然よくないなー。違うなー。ってことがよくあるんだよね。

それで、なんでだろうってずっと考えていた。

一つ感じたことがあったので書いておこうと思った。

僕たちがみてる景色って目っていう自分のレンズのようなものでみているからそもそもの目で見たものをカメラのレンズで完璧に表現するのはきっと無理がある。

レンズが違うんだから。

それでね、カメラのレンズで綺麗だって思ったものを撮ると目で見た時よりもその風景をぎゅっと圧縮したような感じになったり、街のスナップをしていても目では広く見えていて良いと思ったものだけにピントが合っているような状態でもカメラに写すと画角も狭くなり、背景と混ざったりしてゴミゴミしたものになったりする。

まぁ、撮影者の僕の技術不足もかなりあるのだと思うのだけど。

逆に僕がこれ良い写真だなって思う時って撮りたいものがはっきりと強調されていて、後ろに何もなかったり、背景がすっきりと整理されているんだよね。

だから、良い風景があるなって思っても運悪く電線がたくさん合ったり、目の前に車が乱雑に停められていたりするとそれはカメラでは綺麗に写せない。

でも、そこに自分が何か綺麗だと思ったということは目ではしっかり背景がすっきり整理されていてどこかを切り取っているのかもしれない。

見方によってはその目で見た綺麗という表現をカメラでも表現できるのかもしれないと思った。

写真家がいろんな体勢でカメラを構えるのはそんな角度や位置、画角を探しているからなんだと思う。

風景写真でもそうなんだ。

僕はカルスにいる時、目についた誰でもわかりそうな高台に行ってその街の風景写真を撮った。

そしたら、ありきたりな写真でなんか違うなって思った。

パソコンに映してレタッチしてもなんか見ていた時の感動みたいなものはないし、綺麗じゃないなーって感じた。

それは、写真に写ったものがなんか整理されていなかったんだよね。

もちろん僕はその場所で何度も位置を変えて画角を変えてかれこれ2時間くらいその場所で撮影したよ。

それに、昼も夕方も行ったしね。

カルス最終日、カルスの鉄道駅に着いた時フロアにカルスの写真を撮っているカルスの写真家の作品が展示されていたんだ。

僕はそれを見て思ったよ。

写真家はみんなが撮る場所からだけ撮っていてはダメだ。

たとえそこに綺麗な場所があっても他にもっと良い場所がないか角度を変えたらどんな写真になるのだろうかって常に考えていないといけない。

その写真からカルスにあるもう一つの高台から街の写真を撮っていた。

それがすごく良くて僕はなんであの場所に行かなかったんだろうって少し後悔した。

僕も気がついていたんだよ。

そこにもう一つ高台があるってことに。

でも、僕はそこが観光するための高台ではないこと、僕が撮っていた場所よりもその場所が低かったことなどがあり行く価値はないと思ったんだ。

でも、そこが良かったんだよね。

人がほとんど行かない場所だし、みんなに気がつかれていない場所だった。

人の写真を見るって気がつくこと多いなって思ったし、写真は奥が深いなって日々感じる。

この旅が終わる頃僕はもっと写真にのめり込んでるだろうなって思う。

カルスのモスク。
生肉店。
カルス城
昼寝する犬。近づくと逃げられた。

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