写真を学ぶ学生から学んだ写真のこと

10日くらい前だった。

僕は写真を大学で学んでいる学生から写真の話をたくさん聞いた。

僕は趣味で写真を印刷会社にプリントしてもらって月に2、3枚、多い時で5、6枚くらい写真を紙に印刷していた。

それでも印刷するのって意外とお金がかかるから僕の場合一枚4,000円とか高い時は10,000円とかかかっていた。

もう生活費に支障が出るレベルになってくる。

小さいL版から初めてA4,A2,A0とどんどんサイズを変更して引き伸ばすとどうなるんだろうって興味の赴くままにやっていた。

そこで得たものはなんとなくではあるのだけど大きかったと思う。

だから、このデジタル写真全盛期の今プリントしてる人の方が少ないのだから、僕は紙に印刷している方だと思っていた。

だから、写真を専門に学ぶ学生に出会った時に対等に写真の話ができると思っていた。

でも、実際は僕は対等に話せるどころか相手の話すことを理解できないことが多くて、その人から教えてもらうことばかりだった。

だからこそ、その人との会話は楽しかった。

その学生がこれまでどれだけプリントしてきたのか学校でやった課題のほんの一部を写真で見せてもらった。

山のように重ねられたL板写真がそこには写っていた。

この時思ったね。

あーこれは話がついていけないわけだよと。

実際に手を動かしている量が違う。

僕は月に2、3枚。

学生達はどれだけの数、行動しているのだろうか。

僕は追いつけないなって思った。

きっと彼らは写真について自分の意見をたくさん持ってるだろうし、こだわりもあるだろう。

僕が考える写真とはまた違う次元のものなのかもしれない。


話は変わるが、仕事場で同僚の人がこんなことを言っていた。

やましろ君、昨日奥さんと写真の話をしたんだ。」

「写真でなきゃいけない理由ってあると思う?」

僕の奥さんは特に無いと思うっていうんだ。写真で伝えたいことは動画で伝えた方がわかりやすく人に届くし、同じことをしようとすると写真は説明しないといけない。」

でも、僕は写真はまたそれとは違う価値があると思っててアートという観点で写真は写真出なきゃいけない理由があると思うんだよね。」

ざっくり書くとこんな感じだった。

正直いうと、どちらの意見ももっともだと思った。

別に、写真でなきゃいけない理由は無いと思う。

その人がどんな表現方法を選ぶかという話で、写真じゃないといけない理由なんてどこにもない。

ここからは僕個人の意見を書いてみようと思う。

僕は、同僚の話を聞いていて純粋に楽しいなって思った。

そして、自分の意見もちゃんと持っていた。

言わなかったんだけどね。

僕も写真でなきゃいけない理由は無いと思う。

さっき書いたようにそれは表現方法を選ぶというだけのことで文字を書くのにボールペンを選ぶかえんぴつを選ぶかということに似ている。

僕は自分が写真を選んだ理由を明確に持っている。

それは、同僚の奥さんがデメリットとしてあげた理由。

僕は写真だと説明しなくちゃ伝わらないから写真を選んだ。

選んだというよりもだから写真がいいと思ったという方が正しい。

写真展でもなんでも写真が飾られているだけでは正直面白く無い。

僕は何度も東京中の写真展を見に行ったけど、撮影者やスタッフが在廊していない写真展ほど面白く無いものはなかった。

僕はそんな写真展に行った時はふらっと全体を見て歩いて(5分から10分くらい)そのあとは何で接着しているのか、どんな額を使っているのかを写真を見るよりもまじまじと観察する。

だって写真を見てもわからないんだもん。

何伝えたいのか強烈に伝わる写真を撮れる人なんてかなり少ない。

だから、そんな人でない限り写真を見て察してくれという態度をとってはいけないと僕は思う。

人間関係も同じだよね。

相手を見て察することはできても本当にそうなのか答え合わせをすることはできない。

結局相手との関係ではなくて自分の想像の中で一人芝居をしているようなものでそこで出た予測を相手にぶつけてみることしかできない。

でも、相手が本心を言ってくれない限り腑に落ちることはないし、結局まぁいいっかとなってしまう。

写真はよりそうなりやすいと思う。

説明のない写真は存在しないのと同じだ。

でも、説明のある写真は自然とコミュニケーションも生まれる。

考えていたこと全部伝えられたかわからないけど、早朝はいつも眠い頭でそんなことが思い浮かぶ。

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