アメリカの大統領選挙でトランプ大統領が当選確実とネットニュースでライブ中継されていた。
すると、日本中のニュースでもすぐにそのことが放送された。
ここは日本なのになぜみんなアメリカの大統領選挙のことを日本の首相の時よりも熱心にそして、ドキドキしながら見守るのだろう。
これを書いている僕自身もその1人。
日本はアメリカを世界のリーダーとしてアメリカの動向に注視しそれに従うしかないと心のどこかで考えている人が多いのだと思う。
だから、他国のトップが誰になるのかどういう政策をするのかを細かくチェックしてそれに一喜一憂しているのだと思う。
2年前、僕もそういう自分ではない誰かが世界を変えてくれるだろうと思っていた。
リーダーが変われば世界は大きく変わる。
トップが変われば国は良くも悪くもなる。
そう信じていたように思う。
でも、実際変わっても大きく変わるのは戦争が始まるかどうかくらいだ。
戦争が始まっても当事国でない限り、僕たちの生活が180度変わることはない。
世界はよくなるどころかいつだって悪い方へ向かっているようにしか報道されない。
結局、大勢の人が見せられているものは不安を煽って少しの希望を持たせてられて、もてあそばれているようにしか僕には見えなかった。
実際そういう世界のことを考えると変な世界のことが嫌いでどこかにユートピアがないかと考えているばかりだった。
自分がどうしようと変わることのない世界のように感じていた現実は苦しいもので憂鬱になるばかりだった。
日本のことを考えれば壊れていく平和が目に見えて見える。
生きる気力のない人々や外からやってきて平和を壊す人々。
それを見たり聞いたり、SNSで偶然見つけたりするのが本当に嫌だった。
でも、そんな時に僕は思ったんだ。
「なんかいろんなことに執着してるなー。」
よくそう思うことが増えた。
そこが嫌いなら離れてしまえばいい。
嫌なものがあるならそうでないものを目指して進めばいい。
これは薄情ですか?
僕は日本が移民や外国勢力に侵されて行くことにすごい嫌悪を感じる。
でも、ヨーロッパでそれが深刻化していてもアメリカで貧富の差が広がっていてもそれにはそこまでの嫌悪を感じない。
それは自分には関係ない遠くの国、自分のものではない事柄に過ぎないと感じているのだと思う。
多くの人がそうなんじゃないか。
他の誰かが苦しんでいることには無関心なのに自分のことになると熱を上げる。
それが僕の悪いところでそして、それを考えたところで僕が守れるものなんてほとんどない。
強い人ならそれでもどうにか世界を変えようと力を強引に尽くすのだろう。
でも、自分はそうしたいとは今は思わない。
僕は日本は自分達のものだと無意識に思っていたけど、実際それは日本に執着しているのだと思う。
そして、それは足枷になる。
その執着は悪い感情の種になるし、自由でもなんでもない。
僕が守れるのは自分自身のことだ。
自分を全力で守ることが本当に自立することだと思う。
誰かに将来を決めてもらおうとか誰かの影響で人生が左右されるとかそういうことは僕は嫌いだ。
そうなりたくないから自分の感じる自由を求めてあれこれと考える。
住む場所だって働く場所だって本当はどこでもいいんだ。
僕は今東京にいるけど東京にいるのは仮住まいだと思うようにしてる。
何かあればここを離れてすぐどこかへ移動できるくらいの心の自由さを手に入れたいから。
世間の普通を僕が違うと思うから僕は僕の思う普通を実現するために世間の普通を手放したいと思った。
そこに執着すれば心の足枷となるから。
自分にとっての自由を追い求めることは自分の心を少しずつ軽くしてくれる。
苦しみを少しずつ和らげてくれる。
執着を捨てていけば自由に近づくし、苦しいことに出会った時にそこにもまぁいいかと深く思い悩むことがなくなる。
深く思い悩んだって結局何も変わらないのだから。
何かを変えられるのは良いアイデアであることは少ない。
変えようと思ってなんでも良いから行動することなんだ。
やり方が間違っていようと考えているよりは少しずつ変わっていく。
自分でどうにかできないことはそこから離れてみよう。
離れた先で自分の頭の中もクリアになって何かいい方法が見つかるかもしれない。
小さなことでもなんでもいいから自分は自由であろうと努力することが大切なんだ。