【デリー退屈日記】何も作っていないなら、どれだけ多くのことを経験したって信用にはつながらない。

僕はこれまでいろんなことを経験してきたと自分の中では思っている。でも、僕は何も作っていなかった。

動画編集をしていた時も本気で自分の作品は作っていなかった。写真を撮っているときも本気で撮ってはいなかった。美容師になった時も僕は本気ではなかった。

いつも僕はこれをずっとするつもりはないと思っていた。

何をするにもある程度のスキルがついたら一つでも自分だけの作品を作らないといけないと僕は今信じている。

僕は最近オンライン上での仕事を探すため仕事を検索していた。でも、僕ができそうな求人情報を見つけて応募しても僕は全く選ばれなかった。

確かに量が足りてないというのもあるかもしれないが、明らかに応募している人数が募集人数に足していないのに断られることも多かった。

それはなぜか僕なりに考えてみたのだけど、僕には実績の部分で何一つ書けることがなかった。

だからそれが原因の一つではないかとも思う。

僕はこれまで色々やってきたにも関わらず、何一つ完成させていなかったのだから。

3年前に動画編集をしていた時編集がめんどくさく感じてきて僕はどれだけ簡単に作れるかだけを考えるようになっていた。その時から僕は動画編集のスキルを上げることをやめていたのだと思う。

この瞬間から成長は止まったと思う。

言い訳をするなら、動画編集にはある程度のパソコンのスペックが必要で僕のパソコンでは十分に作業ができなくなっていたというのもあるけど、本気で取り組むことができれば買い替えたりと他に手段があったと思う。

それをしなかったのは自分だ。

写真も美容師もやっている瞬間だけでも真剣に取り組む必要があった。

僕にはそれをやり遂げる力がなかったのだと思う。

これまで実績なんて考えたことなかったけど、会社に属さず自分の力で道を切り開こうとする時自分がやってきたことの証明が必要になる。

僕はこれから実績を作り上げないといけないのだと思っている。

そして、これは誰もがやっておいた方がいいことでもあると思っている。

今日朝早くからインドの人々をみていて感じたことなんだけど、僕らはやっぱり恵まれている。

友人のトルコ人にも「君は生まれた場所が良かっただけだと」言われたことがある。それは嫉妬のような意味もあったのだろうけど、友人にはそう愚痴を漏らすくらいの権利はあると思った。

彼女は大学を卒業しても働ける場所がアルバイトのようなものしかないとまた自分のスキルを高めるために学校に通い始めていた。

大学に行かなくても海外旅行したり好きなことして人生を楽しめる僕たちはとてつもなくラッキーだっただけなのかもしれない。

インドに僕が生まれていたら今のような生活は夢のような生活だったと思う。

毎日何もせずに部屋に引きこもっている余裕があるのだから。

だから、僕はこの幸運を活かして自分の力で自分の作品を作っていこうと決めた。

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