【デリー退屈日記】屋台の気さくなお兄さん

最近、また引きこもり率が上がった気がする。

トラベラーズノートを書くようになってからというもの以前撮った写真を見ながら部屋の中で何時間も過ごすことが多くなった。

デリーでの生活もあとわずかになってきて少し寂しく感じてきてもいる。

かといってまたデリー中を観光しまくるという事にもならないのだけども。

それでも、毎日僕は近くの小さなマーケットに行っては毎日同じ屋台で同じものを注文して食べている。だいたいは焼飯のようなものやMomosと言われるインドの餃子を食べている。

たまに夜食用に野菜のサンドウィッチを買うくらいでほとんど毎日同じものを食べている。

毎日行くお店に毎日同じお兄ちゃんがいるのだけれど、今まで行ったお店の中で彼が一番愛想がいいと僕はいつも思う。

外国人の僕がお店に行くとなんだか店員には下心があるようによく思う。

支払いをすると勝手にチップを抜いていたり、何かをたくさん売ろうとしたりと見え見えの下心が目についてあまり好きになれなかった。

でも、この屋台の人は違っていて口数も多くなく僕が店に訪れるといつも笑顔で迎えてくれる。

それだけのことなのに僕にとってはとても居心地のいい時間なんだと思う。

でも、最初はそのお兄さんもこんなに愛想が良かったわけではなくて、無口で仏頂面の人だった。

でも、2週間以上僕が同じ時間帯に通っているとだんだん親近感が出てきたのかもしれない。

人は時間よりも多く接触することで相手に好意を感じやすいというものもあるらしい。

もしかしたら、今まであってきた嫌な人々も回数を重ねて会うことで理解し合うことができるのかもしれない。

僕はいつも市場からの帰り道に周りにいる人々を見てそんなことを考えたりしている。

汚い地面に寝転んでいる人、真っ黒に汚れた小学生くらいの物乞いたち、スーツを着た会社員、その中に溶け込む牛や犬。

日本では決してみることができないいろんなものが混ざり合って調和されているこの環境。

僕はもう最近このような環境が目についても違和感を感じなくなっている。

インドには貧困があって当たり前、牛が街を汚しているのも当たり前、道にうんこや生ごみが散らばっているのも当たり前、そう感じる様になっている。

本当はこれは良くないのだとわかっているのだけど、今の僕にはやっぱり自分ごととして考えることができないでいる。

多分それはこの国に長くいるせいでもあるだろうし、僕が日本人だからでもあるのだと思う。

今ベッドの上でこの記事を書きながら僕は何かするべきだったのかと自問自答している。

でもやっぱり、

答えは出ない。

もう寝ることにします。おやすみなさい。

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