【デリー退屈日記】時々全てが溢れてくることがある

英語の学習もブログも、トルコ語も絵を描いたりスタバに行ったり、写真を撮ったりSNSには常に話す人がいたり、僕は自分ができることはほとんど今してしまっている。

だけど、寝て起きるとなんだか悲しくなってくることがある。

何かがあったわけでも悔しいわけでもないはずなのに無性に泣きたくなることが時々ある。

それについて考えれば簡単に単純に理由なんて出すことはできるのだろうけど、それは全て後付の感情でしかないと思う。

僕はその時ただ悲しい、泣いている。

これがその時何を意味するのかは僕にはわからないけど、こんな日が昔からあった。

満たされているはずなのに何もかもが足りないような感覚。

インドに来てからというもの何もかもがうまくいかないことが多い。

僕はこの国の文化や都市の外観などは本当に好きで旅行なら何度でも期待と感じる。

でも、僕はここに長く滞在するのは合わないようで食に関して言えば僕はほとんどの食事が口に合わない。

ホテルでは泊まっていないのにカスタマーサポートからも返金してもらえない。

オートリキシャーでもチップがないと文句を言われる。

外国人としてこの国にいるとその特異性を利用されてさまざまなことが起こる。

インド人は仲良くなるととても人懐こく話しかけてくるのだが、その裏に男なら日本で働くための足がかりにしようという思惑も見えてくる。

話しかけてくる人は何か自分の利益をかすめ取ろうという人が多すぎて人間不信になってしまう。

もしかしたら、そんなインドのストレスが無意識のうちに溜まっていたのかもしれない。

だから、僕はこんな悲しくなるような日は思いっきりその感情に浸るようにしている。

ちゃんと自分の感情を抑えずに発散できる時はしたほうがいいのかもしれない、そう思うから。

僕は東京にいる時、中国古典を多く読んでいた。

その本には感情を一定にするとかいつでも感情をコントロールするとか無駄なことは言わないということが書かれていた。

今でも尊敬しているそれらの本なのだが、僕はそれを自分なりの解釈で実践した結果何が間違っていたのか結局抱え込みすぎて鬱になった。

確かにその知識のせいではないのだが、人は感情を一定に保つことはかなり難しい。

だから、少しずつやっていかないと思った。

僕は一気に全てを変えすぎたのかもしれない。

だから、この旅にでてインドに来てからは怒りもものすごく感じるし、恐怖も今までより感じる、自分にとって未知へのワクワクも、それを見つけた時の感動も大きい。

人には多くの感情があって、感情を表に出す人はとても人間らしいと感じる。

むしろそうでない人が人間から離れていくのだと思う。

今日、宿の清掃のために11時に起きなくてはいけなかったのだけど起きれなかったから明日は起きなくてはいけない。

これで3日連続で寝過ごしてるから明日こそはと思って今から安心して眠れない。

清掃のためにこんな気持ちになるの嫌だなって感じるけどそろそろしてもらわないと困るから頑張って明日の11時まで起きます。

それじゃ!また明日ね!

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