今日は少し滞在している場所から離れた場所にあるコンノートプレイスに行ってきました。イギリス統治時代のショッピングエリアです。
なので、比較的お金持ちが集まる場所です。外国人は例外ですが。
今日はここで我慢していたスタバでカフェラテを飲んで1日を終えました。
そこで帰宅しようと思ったのですが、帰りに路上でポテトを売っている人がいたので味見がてら挑戦してみたんです。
ポテトといってもじゃがいもをブロック状に切って油で揚げてインド特製スパイスの効いたものなのですが、いつも通り衛生上は最悪でした。
味は美味しかったです。Subwayのポテトを辛くしたようなものです。
外でベンチに座って食べていたのですが、そこに見るからに路上生活者のような人が近寄って来てヒンディー語で何か行って来たんです。
言葉はわからなくても何かを恵んでくれといっていることはすぐにわかります。
コンノートプレイスではこのような人々が結構いて昼は見かけなくても夜になるとたくさん目につくようになるんです。
僕はいつもこれらの人に気が向かない限り、何もあげません。
非情だと思うかもしれませんが、僕は生活するお金が本当にギリギリなのであげないんです。
確かに彼らの生活と比べれば僕は贅沢をしていますが、それでも僕は働いて収入を持っているわけでもない。
実際、僕も毎日お金のことを気にして生きているのですから、今は僕にそのような心の余裕はないからです。
もしあなたならどうしますか?
無限に溢れているこれらの人々に毎回会うたびに尽くしますか?それとも僕と同じ対応を取りますか?
僕は、このことに関して良い悪いをつけるのはかなり難しいと考えています。
もしあげたとして、彼らはその場では幸せになるかもしれません。でも、彼らは死ぬまでこれを続けるだけでなんだか必死に働いて生きている自分がばかばかしく感じることがあります。
でも、彼らがそうするしかないのかもしれないと感じることもあります。
気まぐれで少し渡すと彼らの中には少ないと言う人も結構います。
そう言われた時は僕の場合かなり腹立たしく感じます。
だから、結局僕の場合彼をみてしまうと必然的に嫌な気分になるんです。
だからと言って見ないふりをすると、これは汚いものには蓋をしてみなかったことにするのと同じです。
僕はどうするべきなのか本当はよくわからないのです。
だから、海外に行ってこのような現実に会うたびに僕はその時どうするか考えていこうと思います。
最初からあげないとは決めずにその場で考えていこうと思っているのです。
だから、あげない事の方が多いけど必ずしもそうではない。
ただ、気まぐれなだけかもしれませんが、みんなが自分なりの答えを持つのは大切な事だと感じています。
もし、まだ海外に行ったことのない人がこれから行くのなら現地でこの事について考える機会が来ると思います。
その時はたくさん自分と会話して答えを出してみてください!
今日は少し、考えすぎて疲れてしまいました。
それではまた明日!おやすみなさい。