【デリー退屈日記】退屈も意外と悪くない

僕はいつだって満足できなくて常に新しい刺激を求めていると思う。

もっと日常を、平凡を価値のあるものとして感じ取れればいいのだろうけど、僕は日常的にそれができるほど人間ができていない。

だから、こんなカオスで刺激的と言われるインドにいてさえ退屈と感じてしまうのかもしれない。

でも、このデリー退屈日記を書いていてこの記事を書くためとはいえ退屈な日常から何かを探すようになった。

毎日同じように過ぎているように見えていものが目を凝らしてみるとそうではないと感じるように実は小さな違いが起こっていた。

僕はすごく長い間、それに気がついてもすぐに忘れてしまっていたのだと思う。

僕は今日起きた時に窓の外を見て真っ暗だったのであれなんで夜なんだろうと錯覚を起こしていた。

僕は夕方に食事を買いに行ったことすら少しの間忘れていた。

だから、感覚的にはまだ昼なのだと思っていたのだ。

ここ最近アニメのNARUTOを見ているからだろうか。

それに影響されて昔の親友の夢を見ていた。

その親友に対して僕が思っていた何年もの感覚が一気に押し寄せてきて、まるで出会った時からの記憶が一瞬で僕を過ぎ去るように感情も一瞬で過ぎ去った。

僕は少し寂しい気持ちになった。

今まで深く考えもしなかった友人の気持ちを考えていたから。

この気持ちを忘れてしまわないようにすぐにノートに書き記した。

夢で見たこと感じたことを忘れたくはなかった。

寂しさと後悔と懐かしさ。

もう2年以上連絡は取っていない。

すぐにLINEで連絡してしてみたが応答はなかった。

僕は変な感覚だけが残っていて彼とこの話がしたかったのだが、どうも簡単にはいかないみたいだ。

毎日退屈だと感じながらデリーで過ごしているが、ときどき寝ているだけでも人は自分のことを整理して見つめ直すことができるようだ。

正直今日のことは外部からの新しい刺激ではないし、僕がこのことに意味を感じ取らなかったらいつもと同じ退屈な日としてカウントしていたのだと思う。

退屈な日も悪くないと感じた。

人は毎日を刺激的な日々にしたいと願うけど、それは振り返ることの少ないなんだか味気ない日々なのだと思う。

退屈は積み重なっていつの日か何かに気がつくことができるものなのかもしれない。

さて、ということで今日は少し妄想に浸る日でした。

夜になってもたぶん寝れないけど、紅茶を飲んでゲームしてまたNARUTOでもみて友情についてでも勉強します。

またね!

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