【デリー退屈日記】一杯の紅茶と本。

今日のデリーは快晴。

ベッドの横の大きな窓のカーテンを少しずらして毎日の日課のように僕は外の景色を確認した。

何もすることがないとこれが少し楽しみになってくる。

僕の場合、毎日カーテンを開くとどんな景色になっているのか少しワクワクしてしまう。

インドは天気も気温も外の景色もよく見ると同じではない。

窓の外に大きな牛がどしんと立っていたり、奇妙な掛け声をしているおじさんがいたり、大雨で洪水になっていたり。

早朝に起きるといつも騒がしい環境が一変していて鳥のさえずりが聞こえたりする。

それでも僕は早朝に外に出たことはない。

快適なクーラーのある部屋からこっそりと外の世界を覗くことしかしない。

なぜなら、早朝は野犬の世界だからだ。

野犬は人のいなくなった時間を自分たちの世界のように昼間とは違う形相で歩き回る。

だから、僕はでない。

今日は出前で600円のピザを注文して部屋からほとんど出ずに夕方まで過ごした。

夕方そろそろ涼しくなった頃かと思い、外に出る準備をした。

部屋のポッドで僕の唯一の楽しみである紅茶を入れる。

毎回砂糖の量が均等でないため、甘すぎたり、ストレートに近かったりと味はバラバラなのだが、これはが気分を変える時の一つのルーティンでもある。

トルコにいた時にお手頃価格でチャイが飲めたので毎日3杯以上飲んでいたらルーティンになってしまった。

インドにもチャイはあるが、僕はいまだにインドのチャイには手を出していない。

というより、作っているところを見てしまうと僕には手が出せない。

インドのラッシーも東京に住んでいた頃から苦手でここにきてからの挑戦してみたがやっぱりだめだった。

インドの食や飲み物は僕とは相性がかなり悪いようだ。

でも、僕の好きな紅茶はインドのタージリンという地域で作られているのではなかったか。

それなら街中にもっと紅茶があっても良いはずなのだが、インドの街中ではあまり紅茶を見かけない。

僕はセブンイレブンを真似たようなコンビニでこの紅茶のパックを手に入れることはできたのだが、お高めだと感じた。

今考えるとタージリンは旅行の計画に入れるべきだったかもしれない。

自分の好きなものがどこからきているのかということはそうそうみれるものではないのだから。

紅茶を飲み干して僕は本を一冊持って部屋を出た。

宿の向かいには小さな公園があるのでそこのベンチに腰掛けた。

その移動距離30秒。

僕はもうどこにもいきたくないのかもしれない。

こんなに近くにある公園なのに今日まで一度も足を運んだことがなかった。

早速、英語の勉強のために買った洋書を広げ読み進める。

読み始めて1分も経たないうちに数匹の蝿と何匹もの蚊が僕の周りをうろちょろしている。

僕の向かいにいるおばあちゃんは顔に蝿がくっついていても動じることはない。

これが精神を磨き上げたインド人なのだろうか。

さすがだ。

その向かいにいる僕は無駄な殺生をしようとバタバタとしている。

やっぱりインドはどこに行っても一筋縄ではいかない。

僕はそれから30分くらい読書をしてちょうど公園に牛が入ってきたのでお腹が空いてきて今日の夕食の買い出しをしに向かった。

夕方に食事をすると夜中にお腹が空くので、今日はポテトチップスも購入した。

それを食べながら夜は映画鑑賞をするつもりだ。

帰って僕はしばらくしてこの記事を書いている。

僕は一つ思うことがある。

こんな生活をしていると退屈だからいろんなやりたいことができる。

今日はオーディオブックでロシア語を聞き流していたんだけど、思いつきだから明日はやらないかもしれない。

だけど、人は本来このように今日思いついたことを全力でやって毎日を積み重ねるのではないか。

明日はやらないかもしれないけど今日やりたいことをやる。

そんなこんなで自然と毎日やっているもの経験値は溜まり、やらないことは忘れていく。

多くの人が時間を効率的に考えるがあまり何も出来なくなる。

それなら、今日やりたいけど明日はやるかわからないことをやっていく方がいいのではないかと僕は感じた。

おやすみなさい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です