旅で気がついた5つのこと

こんにちは!

今回僕は旅をして半年が過ぎたということで僕が旅をして気づいたことがあるので旅したからこそ肌で感じた体験からこの記事を書いていこうと思います。

多くの旅人が旅をして何かを感じて日本に帰るのだと思います。

よくこんな言葉が言われています。

「旅では人生は変わらない」「旅で人生が変わった」

この両方が僕は正しいと思っています。

なぜなら、それ人それぞれでみんなが旅で人生を変えてしまうことはないと思うからです。

旅で出会う人も、行く場所も、行った時の気候でさえ全てが同じ人なんていないのだから、僕はそれが旅なのだと思います。

さて、早速僕が気づいたことを書いていこうと思います。

1. 暇な時間で自分を見つめ直せる

旅に出る前は長期の旅行とは毎日観光して新しいものに触れ合えてとても刺激的な毎日が過ごせるとどこかで期待していました。

ですが、やってみると気がつくのですが、多くの資金を持っている人でないと多くの観光地を見て回ることはできません。

多くのバックパッカーがしているのは無料の観光地や教会、モスクなどに行って有料の観光地は外から覗けるなら覗いてそうでないなら諦めるということです。

僕はこれが現実だと思います。

コミュニケーション能力が高い人は現地の人々と毎日交流するのかもしれませんが、そうでない人は毎日一人で散歩したり行きつけのお店で軽く会話するくらいです。

これを日本でやるとニートというのかもしれません。僕自身人生で初めてニートの人々の気持ちが少しわかった気がします。

でも、だからこそ自分と向き合うことができるのだと思います。

僕は何日も何日も自分の生き方に迷い悩んでいました。

ですが、毎日同じことを何度も何度も考えているとある日、急に閃くような瞬間に出会うことができます。これはいつそのひらめきが来るかもわかりませんが、辛抱強くこんな苦しい日々を過ごしていればいつか来るものだと思います。

僕は自分の夢の中でそれらの整理ができて夢の中の自分自身に気が付かされました。

スピリチュアルな話かもしれませんが、どんな言葉を聞いても読んでもそれが自分にしっくり来なければ意味がありません。

夢の中の僕が教えてくれたのはそんな今まで何度も聞いてきた些細な言葉だったのですから。

2.たくさんの文化やルールがあるということ

君が海外に旅に出たならその国に多くの文化やルールがあることに気がつくと思います。

当たり前ですが日本の文化やマナーとはとても違います。

例えば宗教一つとっても信じていることは違います。

列車に乗るときの当たり前や道を歩くときのルールも違います。

握手の作法も違ければ、人との接し方も違います。

僕たちが当たり前にしてきた人権についても他国に行けば違います。

僕は女性の生きにくさというのを多く見てきたし、子供達が自由に生活してない姿も見ました。

環境の悪い中生きている人もいれば、その横で僕と変わらない生活の人もいる。

人権や平等の意識、民主主義が西洋の考え方でそれを嫌う人が多くいることもわかりました。

僕は一度女性の自由を制限していると思う国で女性にこう問いかけたことがあります。

「ここでは君たちの権利は男性に比べて制限されてると思うけどどう思ってる?」

彼女は私はそうは思わないとはっきりと言いました。

僕はこのことに驚いたのですが、彼女達にとって生まれた時からこれが当たり前だったのだからそれはそうだと思いました。

そして、誰も自分の信じてきた国、文化が間違っているとは思いたくないということ。

郷に入れば郷に従えという言葉がありますが、僕はその通りだと思いました。

相手が望んでいないものを押し付けるのは傲慢でしかありません。

自分が信じていることも相手に強要してしまうとそれは悪になってしまいます。

だから、列車に乗るときもその国の人々が出てくる人々を押し退けながら無理やり入るなら自分もそうするのがその国では正しいのだと思います。

3.言語の持つ力

僕は言語って英語以外なら学ぶだけで誰かを喜ばせられるものだと思います。

僕は英語よりも先にトルコ語を学びました。すると多くのトルコ人が君はなんでこの言葉を勉強してるの?トルコ語を覚えても何もメリットはないのにと言われます。

多くの人にとって言語はお金を稼ぐためのものなのかもしれません。

先進国の人々は娯楽でしますが、経済が良くない人にとっての語学とはお金を稼ぐためのツールで英語やドイツ語、フランス語などのメジャーな言語以外は学んでいるというとかなり不思議がられます。

だから、英語以外の言語を学ぶだけで多くの人仲良くなれると思います。

実際、観光で日本に来ているだけの人が必死に日本語でコミュニケーションをしてくれると嬉しいですよね。

僕はトルコの田舎でカタコトのトルコ語でも多くの人々が歓迎して友達に紹介してくれました。

少し話せるだけでお店でもいい待遇を受けることができたり、従業員が僕に興味を持ってくれたりと僕にとってはいいことばかりでした。

それも言語を勉強していたからで、英語を勉強していたならこれはここではなかったと思います。

4.日本人というアイデンティティ

日本にいるとき僕は自分が日本人だと感じる、意識することはあまりありませんでした。

日本にいる多くが日本人であるため、自分が異物だと思うことはなかったからです。

ですが、海外に行くと僕は日本人でこの国では異物なんだと感じることがよくあります。

周りにいるのは自分とは顔も言葉も、考え方さえ違う人々です。

だから、アジア人を見かけただけでも一種の仲間意識が芽生えたりもしました。

それは日本から離れるとその分だけ感じるのではないかと思います。

東南アジアではあまりそう感じなかったので。

旅人は旅が後半に近づくにつれて自分が日本人でよかったと感じたり、日本のありがたみを感じるようになるようです。

それくらい海外に行くと自分のアイデンティティを意識するようになるのかもしれません。

5.通貨の怖さ

そして最後に僕が円安時代に海外に行って一番感じたことなのですが、通貨は単一で存在しているわけではなくて常に他国との比較の中で存在しているということです。

例えば1000円は日本では1000円ですが、アメリカに行くと7ドルです。

もうアメリカでは7ドルでは日本で買えるようなものは買えないでしょう。

逆にインドに行けば1000円あれば数日過ごすことができます。

このようにグローバルに活動する世界では他国から輸入することも多くなるため通貨の価値が落ちると日本での生活も苦しくなるのです。

それが今起こっているのがトルコであの国は通貨の価値が2018年から20%も急落しています。

それにコロナでの物価高があっての他の国と比べても国民の生活は段違いに苦しくなりました。

その原因は他国との大統領の関係だったり国の向かう先が食い違っていたりと小さなことで崩れてしまいます。

窮地に陥って初めて多くの人々は通貨のことを気にするのかもしれません。

今日本で起こっている投資ブームのように。

終わりに

人は自分にとって必要なことしか意識してみようとしません。

だからこそ海外に行くというのは世界の国々と自分たちの国との関係性を知るという面ではとても大切なことでこのほかにも気がつくことがたくさんあるのだと思います。

この、世界中が繋がって成り立っている社会の中で外に出ずに多くを知ることはできるかもしれませんが、やっぱり自分の肌で体験することとは違うものになると思います。

機会があれば君も自分で体験してみてください。

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