ジョードプルから列車で約5時間くらい移動すると、いつの間にか当たりはジョードプルにあった風景とは変わっていた。
いつの間にかというのは理由があって、ジャイサルメールに行く列車はなぜか寝台列車しかないらしく、デリーから向かうときに検索しても、ジャイプールで検索しても同じようなものだった。
なので、朝6時の列車にのってからしばらくは周りの乗客がまだ寝ていたのでカーテンを開けることができなかったのだ。
僕の席は四人一組の席で向かい座りで二人ずつという席。
僕の方には乗客はいなくて実質三人という感じだった。
なので、他の二人が寝ている間僕も本を読んで時間を潰していた。
到着間近だっと思ったのでカーテンを少し開いて窓の外を眺めると、外には黄色い砂の大地にあまり多くの葉をつけていない低い植物が所々に点在していた。
正直なことを言うと僕の想像していた砂漠の街とはかなりかけ離れていた。
でも、後から知ったことだがジャイサルメールの街は昔から砂漠の中のオアシスとして機能してきたらしい。
今はシルクロードが使われてないのでジャイサルメールはただの辺境の街なのだが。
ジャイサルメールは終点の駅なので乗り過ごすことはなかった。
インドの他の駅と変わらず、出口付近には多くのリキシャー運転手が手招きをしている。
そして、外国人だとわかると実際よりも数倍の価格を提示してくる。
もうそんなのには慣れっこで気にならなくなったが、それでも辺境の地に来てもこの文化は変わらないのだなと思った。
僕の予約していた宿は「東京パレス」という。
なぜかインドに東京の名前を語る宿があったので興味が出て少し値段は張るが行ってみることにした。
到着してすぐに少し変わったこんにちはという言葉で出迎えられた。
全員が日本語を話せるとか流暢に話せるというわけではない。
いうならほとんど話せない人たちが多い。
ただオーナーが日本人と結婚したかなんかでこの名前にしたらしい。本人は日本にいるらしいのだが。
今はオフシーズンでほとんど客はいないようだが、宿泊者名簿を書くときにチラッと見えた国籍欄をみるとやっぱり日本人の客が多いようだ。
あと、気になったのだが意外にもオーストラリア人が多かった。
僕はよく思うのだが、為替のカウンターでよくドル、ユーロ、と並んでポンドとオーストラリアドルはメインの通貨のように書かれている。
オーストラリアの観光客は結構どこに行っても多いのだろうか?
少しそんな考え事をした。
移動疲れで体はしんどかったのだが、少しだけ宿周辺を歩いてみた。
この街は小さな街だが、ほとんど全ての建物が砂の色でこの街の雰囲気を作り上げていた。
もし、街を走る車やバイクがなければこの街は昔の姿のままなのだろうと感じるほどに他の街とは違いとても田舎くさかった。
でも、それがいい。
僕たち旅人はそのような姿を求めてきているのだから。
そう考えながら、僕は先進国の旅人は僕も含めかなり身勝手だなと感じた。
僕たちは貧しさや世界中の人々に同じような幸せを求めながら同時に発展途上国はこのままの姿でいてほしいと願う。
昔の旅人達が今のバンコクやその他の都市を見て昔はこんなに都会じゃなかった。こんなに発展してしまったらもう昔のような観光の面白さはないと言ったりする。
確かにそうかもしれないが、そのことを考えると行きたいと思ったときに行かないと見たいものは2度と見られないものになってしまうのかもしれない。
時は大切だというがその思いがすごく強く湧き上がってくるように感じた。