僕の私見ではあるのだけど、インドって人がする仕事をなんでも良いから生み出そうとしてるように見える。
日本では、どうにかして人の手間をどんどん減らしていこうとしてるよね。
機械で代用したり、1人の人が多くの仕事をしたりして人件費を抑えることもしていると思う。
でも、インドに来てお店に入ったりしていると店員は店の中の掃除はするけど店の外の掃除は別の人が雇われていたり、ドアを開ける担当の人がいたり、僕たちにとっては必要ないでしょと思うような部分に人の仕事を生み出しているように思う。
でも、これは多くの人が住んでいる国では必然的なのかもしれない。
仕事がないと困窮してしまう人が増える。だから、この国の人々は昔からどこで対価を払ってもらえるようなことができるか考えてきたのだと思う。
インドの首相は路上で出されるチャイの入れ物にプラスチックを使うのを禁止したと聞いたことがあります。
そして、代用品としてインドでよく見る土でできたカップを使うことを推進したのだという。
デリーの街中ではそのカップにチャイを入れて提供されているのをよく見かける。
お客さんは飲んだ後はそのまま道に捨てても土に帰るから環境にも良いという理由があったらしい。
でも、その裏にはそうすることで多くの職人に仕事を与えることができるという理由もあったという。
日本とは全く違った発展の仕方をしているように僕には思う。
人をなるべく働かせないように発展を進める日本とたくさんの雇用を生み出して人に仕事を与えようとするインド。
確かにこれは日本が昔歩んできた道のりで僕たちもその時期を乗り越えてきたのかもしれない。
でも、同じ時代を生きていてインドのこのような光景を見ると昔のことを知らない僕にはこれが新しい物のように見えてしまう。
そういえばトルコでも似たようなことがあった。
トルコでは多くのスタッフがマクドナルドなどの店舗にはいるのに半分くらいのスタッフは客が大勢並んでいてもおしゃべりをして働いていた。
トルコは経済危機と言われるくらいに人々に仕事がないと言われていた。
だから、いらないのにたくさんのスタッフを雇っていたのだろうか。
トルコでは多くの場所でそんな光景を目にした。
僕たちには無駄にしか見えないけど、その無駄は人を救っているという場合がよくあるように思う。
どちらが良いと言うわけでもないが、今のインドを見ていると必死に多くの雇用を生み出して人々の生活水準を上げようという姿勢がよく見える。
もしかしたら昔から何も変わっていないのかもしれないけど、僕には今そう見えていてそうだと信じたい。