写活を極める!写真が持つ様々な力。表現方法は伝えたいことで決めることができる。

写真を撮る人はよく写真を撮りに行くと外に出かけていく。

写真を撮るというのはいろんな要素がある。

例えば、旅しながら撮る旅行写真はその時の撮影者の感情が撮られている。

モデルを撮るファッション写真は自分ではない他人にファッションの良さを伝えるもの。

同じ写真を撮るという行為だけど、写真の持つ力や意味は全く違っている。

旅行写真は個人が感情的に撮った写真が他者にも良いなと感じさせることがある。それはなぜなんだろうか。

撮影者の自伝が書かれている文章には多くの人が興味ないだろうけど、撮影者が自分の価値観だけで撮った写真は意外と多くの人がいいねと言うことがある。

これはきっと写真が人の感情と共感しやすい媒体だからだと思う。

文章にはイメージする力が必要だけど、写真なら視覚として入ってくるので共感しやすくなる。

共感できることが今の時代には必要なのかもしれない。

僕はファッション写真にはあまり共感することができない。

興味がそこまで高くないからと言うのもあるけど、ファッション写真は共感を求めていないのだと思う。

綺麗さや憧れを他者に持たせるための写真だと僕は考えている。

ここで旅行写真とは違う要素がある。

旅行写真はあくまで自分視点で撮られたものが結果として他者に影響を与えることがある。

だが、ファッション写真は最初から他者に何かを伝えようとする。

他者目線での写真だ。

他はどうだろう。

ストリートスナップを考えてみよう。

ストリートスナップはアート的な一面を持つ。

旅行写真とは違うし、ファッションとも違うような気がする。

完全に違うと言うことはないのだけど、違っているのはわかるはずだ。

ストリートで写真を撮る人は写真を撮りに行くという。

街に出て良い光景を捉えようとする。

これは記録写真に近いと思う。

街中や日常の記録を無感情で残すイメージだと思う。

無感情ということはないのかもしれないけど、そこからエモさは感じないのではないか。

どちらかというとエモいというよりもアート感が出てくる。

ストリートスナップは偶然の産物のようにも思う。

撮影者はいい瞬間が来るのをひたすら待つか、または探し歩く。

僕はよくそうするのだけど、撮っていてこれがエモいという写真にはつながらない。

芸術だと感じている方が大きかもしれない。

他のものよりもストリートスナップはどこがいいと表現しにくいかもしれないけど、もし展示を見たら何だかいいと思う写真が時々あるはずだ。

言葉には表現しにくい。

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