写真について考える

ここ最近、写真について考えることが多い。

写真てスマホでも撮れるし、フィルムでも撮れる。高画素機という高価なカメラで撮らなくてはいけない理由はない。

もし、高画素でなくてはいけないなら昔はフィルムしかなかったからどうしていたの?と考えてしまう。

確かに中判カメラというものがあったのかもしれないけど、綺麗さではデジタルには敵わないと思う。

そう考えると、僕はプリント方法にも疑問を持ってしまう。

写真展をするとき必ず高価な紙に印刷して飾らなくてもいいのではないだろうか。

そうした方がいいし、綺麗なのもわかるけど、それは一つの表現方法でそこにルールなどない。

だから自分で何か作品を出したいときにはプリント方法にこだわってできないと諦める前にできることをやってみるのもいいと思う。

例えばコンビニの普通紙に印刷してみるとか。

僕はお金がないからよくコンビニで普通紙に印刷して自分の作品を見て楽しむんだけど、僕にとってはとてもいいものができたと感じることが多い。

しかも、白黒なら一枚10円でできる。

カラーでもA4サイズで50円なので安くて十分楽しめる。

僕はそれが好きだ。

そんなことをしているから思うのだけど、フィルムで撮った解像度の低い画像や昔のiPhoneで撮った写真がエモいと言われる時代なのだから質が悪い=いい作品ではないと思う。

質が悪い中にも何かエモさや伝わるものがあったときそれはれっきとした作品になる。

だから、写真は解像度や高品質のものがいいというわけではないということ。

僕はよく旅先でアンティークショップに入るのだけど、そこには誰が撮ったのかわからないモノクロの古い写真が売られているのを見かける。

最初は誰が買うんだろうと思ったけど、何度も見るうちに僕は欲しいと思うようになっていた。

しかもそこに写っているのは風景写真ではなくて多くが家族写真とかポートレートなんだよね。

僕はずっとなぜ僕がそれを欲しいと思ったのか疑問に思っている。

でも、言葉にできなくてもそれは僕に良いと思わせるほど魅力的な価値のある写真だということ。

また、写真は文化を継承する最も重要なものだ。

だから、ストリートスナップや記録写真は後世に現在を伝える重要な手段なんだ。

そこまで考えている人が多くないから多くの規制がかかったりするのだと思うけど僕はそう考えて写真を撮っている。

僕がしていることは文化を残す重要なことなのだと。

僕は家族のもとに帰ったときよく家族の写真を撮る。

写真を撮るようになってからまじまじと感じるようになったのだけど、写真にのこしておかないと僕はきっと何かがなくなったときに後悔する。

家族の写真を撮るのが好きだ。そう感じる。終わり。

最後に少し宣伝させて欲しい。

僕は先日までトルコに写真を撮るたびに行っていた。

6年間トルコに通って約四万枚もの写真を撮った。

その中から選んだ写真を写真集として120ページの本にしました。

これは僕がトルコのことが好きで好きに撮り続けた写真だし、他の人には関係ないことかもしれないけど、もっと自分の好きな国を他の人にも知ってもらいたいと思って写真集を作った。

そして、その売り上げの一部をトルコの震災被害地域に支援金として活動団体に送りたいと思っている。

なので興味が少しでもある方はぜひ見てみてください。

感想などもAmazonのレビュー欄に書いてもらえると嬉しいです。

ここまで呼んでくれてありがとうございます。

写真集はこちら

僕の家族の写真

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