トルコで気付いた社会生活の楽しみ方

今回僕が書きたいと思った内容に対してどんなタイトルをつけたらいいのか少し悩んだ。日本で社会生活というと仕事して、普通に生活して毎日安定した生活が送れればいいくらいにしか考えていなかったから。今、社会生活というタイトルを書き込んで僕は初めて社会生活とはなんだろうか?と考えているように思う。

僕の中では社会とは僕の生活圏。

全体のことを表すような気がする。仕事も学校も自宅での生活も全て。だから、今までなんとなく仕事して安定的に暮らすことくらいに考えて近所の人や自分の周りにいる人のことは一切考えずに生きてきた気がする。僕はトルコに来てから自分の考えていた小さな社会から周りに人がいるという大きな社会があることに気がついたような気がする。

僕もまだ完全には整理できていないと思う。

今日、リゼという町で滞在している間に泊めてもらっているホストファザーが僕を自分の友人たちに紹介してくれた。

トルコでは旅人をおもてなしする文化が強いらしく、それかな?と思って僕はついていった。最初は一か所でチャイを飲んで話して帰るのかと思っていたけど、実際は4か所もホストファザーは僕を案内してくれてたくさんの人に僕を紹介してくれた。

あなたの遠い親戚を紹介するような、もしくは娘の結婚相手を紹介するような感じになってない?と僕は内心思いながら、これがトルコの人との関わり方なんだなと本当に感心した。

やっぱり、日本からこんなに離れたところに来ると何もかもが違うと感じる。

今日だけで12〜15人くらいの人に2時間くらいの間に会って自己紹介した気がする。

この時ばかりは長い間トルコ語を勉強してて良かったと本気で思った。

考えてみれば今日僕はいく先々でチャイやら料理やらを振る舞ってもらったけど僕もホストファザーも料金を支払ってない気がする。

良かったのか?

僕は全てを理解できたわけではないけど、集まったみんなで宗教の話や地震の話、この街の話や日本の話を語り合った。

正直僕はとても楽しかった反面、少し恐れていた。

日本では政治や宗教の話はほとんどしないけど、ここでは日常的に行われているようでよくその話題が話に出る。

僕はその時にうっかりミスってしまわないか不安だった。

会ってすぐに僕が聞かれたのは「宗教はなんだ?」という質問。

それから「ムスリムのことどう思う?」「イスラムについて勉強しましたか?」という問いかけだった。

僕は3年前に比べるとトルコのことやイスラムのこと、ムスリムのことを少しは知っていたのでなんとか答えることはできたが、彼らが僕の答えについてどう思っていたのかはわからない。

ただ、日本人のことは好いているようだったけどこれまでトルコとことをかまえた国にはやはり良い印象は持っていないようだった。

彼らはとても誠実で自分の感情に真っ直ぐだった気がする。

他国を恨むのも、自分達の国がこれまでされたことを思ってのことだ。どの国だってそうかも知れない。

それも理由の一つなのかわからないが、この国の人々は自分の周りとの関係をとても大切にしている。

道路を歩いてるだけで誰かが挨拶をしてくれる。もちろん自分からもする。店から姿が見えるだけで手を振って呼び止めてくる人がいる。

僕も何度かここで食事や買い物をしただけなのにもう何人もの人が顔見知りのご近所さんのように仲良くはにしてくれる。こんな文化がここにはある。

僕はこれを肌で感じて思う。なんだか生きていてそれだけで楽しいし幸せだと。

僕はこれは日本にはあまりないものでないからこそ、そこにすごく関心があるのだと思う。

これは今までの歴史があっての一つの文化なので日本もこうならないといけないとは思わない。

でも、今は自分の好きな文化を探してそこに溶け込むことのできる時代だと思う。存在するコミュニティーに希望するものは所属することができると思う。

僕は旅をしながら自分が何を求めているのかが知りたいと思った1日だったと思った。

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