トルコの旅。人と関わる先にあるもの。

人と関わるってさ、誰でもできる簡単なことだよね。

でもさ、僕は日本で生活していると人とほとんど関わらずに過ごしてしまう。

それがストレスなく楽に暮らせることだから。

でも、いつも僕は幸せを感じていない。

いつもなんだか退屈で寂しくて生きてる感覚が薄い。

僕はきっとかなりの寂しがり屋だ。

でも、同時にかなりのめんどくさがり屋だ。

そんな僕がトルコに来て写真を撮りまくるぞっていきまいて、あれなんか想像していたことと違うなって感じるのって当たり前だと思うんだよね。

観光客気分で1人で撮れる写真なんてたかがしれている。

誰でも撮れるし、みんなが同じような写真になる。

でも、どこにいても魅力的な写真が撮れるものが一つだけあると思うんだよね。

それが人だ。

人と語り合い、共感し合い、理解し合いそして、写真を撮ったりするとなんだかこれだ!って写真がいくつも撮れる。

それってさ、道端で急に声かけて相手を知らないまま撮るのとはまた違うんだよね。

その人のことを知り、信頼を築き、そこから写真を撮ると相手も自然な表情を見せてくれる。

撮られていることをあまり感じなくなる。

そんな感覚があるのかもしれない。

僕は今ブルサというオスマン帝国時代の帝都に1週間くらい滞在していた。

来た理由は単純だ。

トルコの友人に来てと何度も言われたからだ。

正直僕はブルサには何度も来ていたから行く予定はなかった。

でも、友人が何度も来てと言うからなら行くかくらいの感覚だった。

でも、僕は来なかったらきっと後悔していたと思う。

ここに来て僕の友人は僕にいろんなことを体験させてくれた。

いろんなことを教えてくれた。

トルコ人は自分の友人をすごく上手に紹介する。

そこにはその人への愛がこもっているようにも感じる。

僕は友人からそれを学んだ。

そして、友人の友人にもよくしてもらった。

彼らはおもてなしが上手い。

人との関わり方が上手いと思う。

そして、居心地が悪いと感じることがほとんどなかったことに驚いた。

初めて会うんだよ。それに言葉も子供みたいなんだよ僕は。

なのに日本で人と会うよりも居心地が良かった。

なんでなんだろう。わからない。でも、僕は彼らと仲良くなり時々カメラを向けた。

彼らはとても良い顔をしてくれる。

写真を撮ると枚数はかなり減ったけど、その分少ない量で良い写真を撮ったと言う感覚が増えた。

僕が感じている充実感は全て僕の友人が教えてくれた与えてくれたものだ。

今日、最後の夜はトルコのsemaと言う伝統の舞を見に行った。

そこで僕は驚くことに友人たちのように自分からトルコ人に話しかけて親交を深めようとしていた。

そこで話して仲良くなって良い写真が撮れたような気がした。

自分の中での撮りやすいと言う感覚ができただけかもしれない。

でも、それだけが変わるだけでも僕は良い写真が撮れるようになった気がする。

明日からイスタンブールだ。

もう友人はいない。

なんだから少し寂しいなー。

でも、ここで学んだことを活かしてもっと頑張るよ!

友人の生徒たち
カメラ屋のおじさん

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