僕がトルコで見たトルコ人は2018年から2024年現在までで多くいるのだけど、その中には親切な人から卑怯で腹の立つ人まで極端なほど差があった。
僕は今ブルサで滞在している。
ブルサはイスラム教色の強い街だ。
イスタンブールに近いのにイスタンブールとはかなり違う街だなって思う。
僕はここで友人のおかげでトルコの高校で高校生と関わる機会があった。
そして、カメラのおかげでトルコのカメラマンたちと関わる機会もあった。
ここでは多くの人が僕に興味を持ってくれたおかげでたくさんのことを知ることができた。
その中で僕がふとした瞬間に感じことを書こうと思う。
トルコ人は恥ずかしがり屋で社交的でとてもおもてなしが上手な人々。
恥ずかしがり屋と社交的ってなんか両立しないような気もするけど、結構成立するんだなって思った。
トルコの学生たちは僕が教室に入った時、ほとんど話しかけてこなかったのに、1人また1人と話しているうちに周りに集まってきた。
話す時も僕は少しトルコ語を理解しているのに人伝いに自分の聞きたいことを聞いてきたりした。
しかも1メートルくらいの距離で。笑
恥ずかしがりなんだなって思いつつ見ていると、しばらくするとその子達が他の子達を連れてやってくる。
気がつけば周りにたくさんの生徒たちが集まっていた。
でも、そうは言ってもトルコ人は高校生でもう僕よりも大人みたいに見える。
だから、体の大きな子たちに囲まれてなんか少し緊張した。
生徒の何人かと僕の友人で学校終わりにお茶をしに行った。
僕の友人は学校の先生をしていて、ここ数日毎日のように僕をおもてなししてくれる。
車がないといけないようなレストランに連れて行ってくれたり、生徒たちと合わせてくれたり、学校の先生たちみんなに紹介もしてくれた。
生徒たちも放課後の時間を使って僕と一緒にいてくれた。
いろんな話を聞かせてくれたし、いろんなことを聞いてくれた。
なんだろう。
僕のような人が珍しいとはいえ、こんなにも歓迎されるのかと思った。
そして、みんなすごく気がきくんだよね。
意外と生徒たちも友人同士で君のトルコ語は速すぎて彼が聞き取れないからもっとゆっくり話して!
とか、話し合っているのが見ていて可愛いなって思ってしまった。
でも、みんな興奮して全然ゆっくり話してくれなかったんだけどね。笑
トルコ人は数人集まると全員が話している。
ちょっと難しいタイトルにしてしまったかな。
今から説明するね!
トルコ人はとてもおしゃべりが好きで、人と話すということが好きなんだなって思った。
5人くらいで集まって話し合いが始まると、すごくカルチャーショックを受けた。
日本だと1人が話しているとみんながそれをきく。
でも、トルコでは誰かが話していても必ず誰かがそれに意見を言っている。
同時に複数人で話すから僕からすると聖徳太子でないとこれは聞き取れないって感じたくらい。
どの話を聞いて良いのかわからなくなる。
頭の回転が速いのか、直感で自分の意見をいう癖がついているのかわからないけど、彼らの話は何時間も続く。
なんか疲れてくるなってなれない僕は思う。
でもさ、なんか嫌な気持ちには全くならないんだよ。
僕は彼らが話している間頭の中空っぽになってフリーズすることがよくあったんだけど、彼らは永遠と話している。
解散する時、僕は心が満たされている感じがしたんだよね。
疲れているはずなのになんかすごく暖かい気持ちになっていた。
また会いたいなって感じたし、ありがとうって気持ちが強かった。
僕は人と会うのが苦手なんだけど、彼らはそんな僕すらも自分たちの渦の中に巻き込んでくれる。
僕は彼らのおかげでここで幸せに過ごせている。
ありがとう!
トルコ人は長時間、人といるのが当たり前。
これもさっきの話と似ているけど少し違う視点だから読んでみてほしい。
トルコ人はたくさん話すっていうのもあるけど、それ以上に長時間同じ仲間で話し続けるんだよ。
僕の友人は僕を学校に呼んでから学校が終わるまで4時間と終わった後に2時間ほど一緒に行動して話していたにもかかわらず話すことが無くなったみたいなことが全くない。
次々と話したいことが出てくるようだ。
日本人の感覚だとここが少しあり得ないと感じないか?
日本人は1時間ほど会うだけでも疲れたという。
本当に仲の良い友達でも4時間くらいで十分だと感じるのではないか?
僕はそう思う。
でも、トルコ人は一日中一緒にいても国はならないらしい。
そして、一緒にいる僕も疲れはするけどそれは国はならなかった。
それだけ話すことがなくなったらどうしようとか沈黙辛いなっていうストレスがないんだと思う。
話すことがなくなったらスマホを使い出したりもするけどそれはとても自然で特に嫌な感じもお互いしなかった。
まだこれに関しては確信はないのだけど、僕が今まで会ってきたトルコ人たちはみんなこんな感じだった。
みんな会う時は1日か半日とか普通に一緒にいる。笑
本当にすごいなって思った。
トルコ人は常に自分がどうしたいかで決めている。
僕の中でこれが1番尊敬しているところだ。
トルコにくればみんなも一度は体験するかもしれない。(個人旅行なら)
トルコ人はお金のやり取りが必ずあるような状況でもルールがあるような状況でもかなり融通を利かせてくる。
こういう時ビジネスみたいに聞こえるけどそうではない。
僕の例で一つ紹介したい。
僕はブルサという街でカメラのクリーニングをお願いしに行った。
そこで料金が200リラと言われ、僕はそれを了承してお金を彼に渡した。
なのに、待ってる間にトルコについて話したりカメラについて話していると最後にはカメラと一緒にお金を僕に返してきた。
僕はこれは当然の彼の報酬なのでと言ったが、彼は絶対受け取らなかった。
これは僕からのおもてなしのようなものだと言ってくれた。
僕はこれにかなり感謝感激した。トルコ人はこういうところがとても粋だ!といつも思っている。
実はこれだけではないんだ。
ブルサでは数年前にもバスで僕が支払う手段を持たない時に料金はいらないと言ってくれたこともあった。
代わりに支払ってくれた人もいた。
タクシー代を割引してくれる人もいたし、チャイを奢ってくれる人もいた。
仕事を抜けて僕をバス停まで送ってくれたお菓子屋のおじさんもいたし、僕が熱で体調を崩した時に看病してくれたホストもいた。
何か困った時この国の人たちはすぐに助けてくれる。
ルールやお金の枠を抜け出して自分が今どうしたいかという視点から自分で行動を決める。
日本人とはかなり違うような感じがする。
迷いなんてないような気がする。
この国の人々はいつも個人対個人を意識しているような感じがする。
僕はそんなトルコがとても好きだ。
終わりに。
僕は今写真家を目指している。
その中で一つのテーマはトルコの魅力を自分なりに世界の人に伝えるというものがある。
まずは日本人に伝えたいな。
僕の写真からトルコに行ってみたいと思ってくれる人が1人でもいればなんか嬉しいなって思う。
僕もそんな作品を作れるように頑張るよ!笑