僕が世界一周をするって言ってから何年も経ってから僕は海外を旅し始めた。
その間に世界一周の旅を考え直すような言葉をたくさん聞いた。
Xでよく呟かれる言葉。
「自分探しの現実逃避の旅」
「世界一周しても人生変わらない」
「今の時代世界一周にそんなに価値はない。ありふれてる」
そんなことをスクロールして見れば見るほど世界一周に価値なんてないように当時は思ってきていた。
確かに同じような景色や体験談をよくSNSで見かけた。
それはもう見飽きるほどに。
僕が本で初めて見つけた体験談のようにそれらは僕には輝いて見えなかった。
どこにでもあるような大したことないもの。
それが僕の本音だったんだ。
でも、僕は今実際に追い求めていたことを他の人と同じようにやっている。
1年間外国を放浪して、沈没したり、ぼったくられたり、退屈や不安、喜び、いろんなことを思って生活してきた。
いつも考えていた。
僕は何をしているんだろうと。
きっと自分探しをしているんだろうと思った。
僕がなんとなく毛嫌いしていたあのX民達のネガティブな言葉のような旅。
そして、今僕はオーストラリアの農場で約2ヶ月働いている。
周りには畑ばかりでどこへも行くことができない。
常に家の中にいるだけで、仕事以外で外に出ることはあまりない。
とにかく退屈で逃げ出したくなる。
でも、最近ようやく打ち解けてきた同じ職場の人たちがいる。
彼らと話しているととても楽しい。
こんな退屈な場所なのに楽しい人たちがいるだけで世界は変わってしまうようだ。
けれど、僕は自分から何かを起こすことが苦手な性格だ。
だから、もっと仲良くなりたくても自分から遊ぼう!という言葉が出てこない。
もっと話したい!という言葉もいうことができない。
こうやって旅をしていろんなところで出会う人、一人一人との時間をもっと大切にしないといけないのかもしれない。
それがなかなかできない。
僕はそんな時に自分に気づく、なんでもできると思っていたのにこんな小さなこともできないのかと思ったりする。
失礼な人に会った時こんなにも自分の中に怒りが湧き出てくるのかと気がつくこともある。
悲しくなるほどに誰かを恋しく思うこともある。
出会って別れて、出会って別れてを繰り返すたびに次の出会いにワクワクしてる自分もいる。
これは旅に出ないとわからなかったのかもしれない。
僕は自分を探しているわけではない。
でも、考えてみれば旅に出ていなくても僕は自分を探していたのかもしれない。
やりたいことが見つからない。心から求めるものはなんだ。好きな人はいるのか、職場は自分にとってここで良いのか、常にそんな自問自答を繰り返して生きている。
もしかしたら僕は生きている間、自分を探し続けるのかもしれない。
どこかで人生は旅だと聞いたことがある。
だとしたら旅は人生だ。
旅に出たから自分の日常が旅してる時と何も変わらないことに気がつく。
きっとすぐには変われないけど少しずつ自分が求めるものを手に入れられるようになれたら良いな。