バックパッカーの間では長旅になるにつれ沈没することがあるということはとても有名だ。
僕もずっと前から知っていて頭の中にはあったのだけど、どこかやっぱり自分ごとではなくて、パハールガンジーとかの安宿に泊まる人たちがなるみたいなイメージがあった。
でも、昨日よく考えてみたら、僕は完全にインドのデリーで沈没していると認めざる終えなかった。
そもそもなぜ今まで他人事のように感じていたのか謎なくらい僕はこの土地に沈没している。
沢木耕太郎さんの小説「深夜特急」でインドのパハールガンジー地域で多くのバックパッカーが安宿で気力を無くして毎日天井を眺めて過ごしているという衝撃的な沈没の表現があるが、僕がその状況は今の僕の生活よりもかなり悪い状況だと感じていた。
でも、その小説に書かれている沈没者の生活とぼくの生活は読み返してみるとかなり似ていた。
その小説では、安宿の客たちは一通り観光を終わらせていてとても退屈しており、外に出るのも食事をするくらいでほとんどベッドに転がり込んでいるというような表現していた。
僕の毎日も夕方18時に起きて食事のために屋台に行き、戻ってきてベッドの上で食べる。それからネットを見たり、Netflixで映画を見たり、それも退屈になると退屈だなと考えたりとほとんどベッドの上から動かない。
起きて数時間すると窓の外は暗くなっていて日の光を浴びることも約30分くらいのもの。
僕は暇を潰すために時々言語学習をしたり読書したりするので今まで自分が沈没しているとは本気では考えていなかった。
でも、よくよく考えているとほとんどの条件が一致していた。
現代の沈没は昔とは違って暇を潰す手段が手元にたくさんあるから意識しにくいのだと思った。
ネットで「沈没 バックパッカー」と検索するとその定義はこうだ。
「物価が安く、社会的なストレスがほとんどない旅先の環境に慣れてしまい移動や観光をせずに1つの街や地域に長期間滞在するバックパッカーの状態」Wikipedia
この定義で言えば僕は完全に沈没状態にいる。
現代の沈没は昔とは状況が少し違うのだと思う。
僕は退屈凌ぎにこのデリー退屈日記を書いているけど、この記事を書く本当の意義はインドデリーでの現代の沈没がどのようなものなのかということなんだと思う。
昨日一日何となく外を見ていたら急にこのことを感じた。
インドは正直他の地域よりも外国人は簡単に生活できる。
だからこそ最初はワクワクを持って多くの外国人がバックパッカー旅行にきて、この土地で長くいるにつれて沈没していくのかもしれない。
僕はあと2週間ここに滞在する予定だけど、完全に気力を無くさないために毎日やることを見つけておく必要がありそうです。
それではまた!