将来のことを考えて不安になるよりも、今を楽しんでどうにかなるさくらいの方がきっとうまく行く。
僕にはかなり多くの不安が自分の中にある。
それでも僕は自分のやりたいことを諦めることができない。
旅に出たい。今ではなぜこんなにも旅に出たいのかよくわからないことも時々ある。
これは僕がもう旅に出ていて旅に出たいという願望を叶えてしまったからなのだと思う。
僕は次のステージに進まないといけない時期にあるのだと思う。
数年前までいろんな人が自由に生きていて羨ましいと言っていたが、その時僕にそう言っていた人々は自由な学生から会社という一つのグループに気が乗らないのに属していたのだと思う。
だから息苦しく感じていたのだと思う。
でも、そう言っていた人々も5年が経つとそんなことを言わなくなった。
僕はその人達がもうその息苦しく感じていた世界に慣れてしまったのだと思っている。
人は適応する生き物だから彼らもどんな環境でも適応してその世界で生きているのだろう。
少し悲しく感じる。
自分の感情を殺した結果、自分のしたいことがわからなくなり日々を淡々と生きていく。
僕は僕の友人にそのようになっては欲しくないし、もし君に何かしたいことがあるなら話くらいは聞けると思う。
大人になると学生の時のように大きなことを言わなくなる。
現実を見てしまうから。
自分の等身大の目標を掲げるようになるのだと思う。
そんなの悲しくなるじゃないか。もっと大きな夢を大人になっても持とう!
虚勢でも構わないじゃないか。
「読書を始めるという目標じゃなくて知識人になりたい」
「旅に出たいじゃなくて世界中を見に行きたい」
「安定してればいいではなくてなんでも買えるくらい裕福になりたい」
このくらいの目標を掲げてもいいではないか。
なんでダメなの?笑われるから?
僕はずっと世界一周がしたいと言ってきた。
ずっと大きな夢だと思っていたのに、3年間節約して資金を貯めたときこれは誰でもできる小さな夢だと感じた。
どんなに大きな夢でもそこに向かっていればいずれ小さな夢になる。
だったら小さな夢をもっと小さいと感じるより大きな夢を小さいと感じる方がいいではないか。
例えがめちゃめちゃだけど、とにかく君には夢を持って人生に希望と楽しさを感じて生きてほしい。
僕がトルコに行った時、現地の学生はSNSでもリアルでもみんな絶望を語っていた。
国政策があまり良くなくて窮地に陥っているから。
でも、僕たちはまだ夢を見ることができる。
やりたいと思えば届く場所にいる。
だから、僕はやるよ!
一緒に行こう!