インドでの沈没生活との別れ、ラジャスタン地方への旅の始まり

バックパッカー用語で「沈没」とは1つの場所に特に理由もなく長く滞在してしまうことをいう。

僕も約半年旅をしていてインドのデリーで沈没していた。

とはいっても僕の場合、旅が始まって2ヶ月目のトルコでもリゼという黒海の小さな街で沈没していた。

これまで数年にかけて日本から1ヶ月単位の旅行をしていた為なのか僕はよく沈没という状態におちいる。

昔の旅人と違い、今はネットで宿もすぐに取れる時代。だから、僕もどんなところかもわからないのにデリーという街で3ヶ月という期間の予約をする前から入れてしまっていたのだ。

だから、退屈だと感じ初めて他のところに行きたくても宿はキャンセルするとキャンセル料が出て返金はない。

行きたくても行けない。ここにいてもやることがないと僕はよく昼まで寝て夕方少しコーヒーを飲みに外に出るくらいしかしていなかった。

何もやる気が起きずにコーヒーを飲み終わるとすぐに冷房のついた部屋に戻るというようなほとんどぼーっと過ごしている感じた。

残りの資金もないし、簡単にどこかへ行くこともできない。円安でインドでさえも簡単に旅をすることができないと思っていた。

そんな生活を約1ヶ月続け、僕もさすがに焦りを感じている。お金に悩まされ、時間はたくさんあるのにこの部屋に縛られている。

何に対しても無気力でギリギリブログを書くことができてるのが救いだと思った。

完全には無気力にまだなっていない。

だから、その前にもっと今できることを楽しみたい。

そう思って3日かけてラジャスタン地方への旅を決意した。

僕の旅程ではジャイプール、ジョードプール、ジャイサルメールを観光してデリーに戻ってくるというプランでいつまでというのは特に決めていなかった。でも、予算は4万円が限界だと思っている。

3日もかけたといったが、3日かけても最初の移動に使うチケットはかなりの高値で買うことになった。

ニューデリーでチケットカウンターを探していたが、見当たらず、駅の職員に尋ねるとメモを渡された。

パハールガンジと書かれていたのでツアー会社で取れということだと思い、メインバザールへ向かったのだ。

ネットも繋がっていないので検索することもできない。

なので、仕方なくツアー会社で購入することを決めたのだ。

今の時代個人でネットを使えばなんでも手配できるのでわざわざ手数料を払ってまでツアー会社に何かをお願いすることはほとんどない。

だから、僕は少しそこにノスタルジックな感覚を覚えた。まるで深夜特急に描かれている時代のようにアナログな感じがしていたので悪い気はしなかった。

メモにあったツアー会社がなかなか見つからなかったので適当なツアー会社に入った。

小さな会社で社員は2人、散らかったテーブルを前に椅子に深く腰掛けた太ったボスと店の外でスマホをいじっている痩せた男性。

ぼったくってきそうだとは思ったものの一応話を聞くことにした。

僕はSLクラスというエアコンなしの席が欲しかったのだが、ないという。

仕方ないので3ACクラスのエアコンありを買うことにした。

1週間後の朝6:10分発 ジャイプールまで4時間の移動のチケット。

値段は950ルピーだという。日本円で約1600円くらいだろう。

僕の感覚では日本で考えるとまぁ良いかなと思うのだが、彼らは僕が了承すると若い男がお金を持って外へ出ていった。

15分くらいして戻ってくるとチケットを持っていた。

僕はチケットを受け取り確認した。

すると、そのチケットは徒歩5分くらいの距離にあるニューデリー駅で購入してきたもので料金は780ルピーだった。

僕は最初いたニューデリー駅で買えばこの値段で買えたのだ。

わざわざ移動してきて人に頼み手数料を170ルピー払ったのだ。(約300円)

自分をバカだなと思いながらも帰りに駅員にもらっていたメモを見る。

しっかり見ているとたぶん駅員はツアー会社を薦めたのではなくて駅のチケットカウンターを教えてくれたのだと思った。

駅員が書いてくれたメモ

僕はそれを見て2度落ち込んだ。

少しの金額とはいえ、苦労して手数料を払うために労力を使っていたのだ。

僕の旅の始まりはやっぱりこのように始まった。

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