僕が選んだ旅人という道

僕は今、自分で旅人という道を選んでいるのだと思います。

お金が稼げる道なら他の道があるのはわかっているのですが、僕はそれらといつも天秤にかけて毎回この道を選んでいる。

最近、母にいつまでこの生活を続けるの?と言われました。

母は本気で僕の将来を心配してのことだと思うのだけれど、僕はこの道をやめるつもりは今のところ全くない。

昔から自由という言葉に取り憑かれそれを追い求めてきた。でも、自由を阻む壁は乗り越えてものり越えても新しい壁に阻まれる。

僕はそのときに気がついた。

旅人は自由のように見えていたけど、自由ではない。旅人という囲いの中に入るだけなんだと。

人は自由を追い求めて何かから抜け出しては違う囲いの中に入っていくのだとおもう。

僕はお金はないけれど今のように旅してそれを下手くそな文章にするのが好きだ。完璧さを求めるあまり全く書けないことも多いのだけど、実際書き始めると書きたいことが溢れてきて混乱してしまう。

僕はよく迷うことがある、他の旅人のように観光地に行って世界遺産のことを紹介する記事を書くべきなのだろうか。

僕は気乗りがあまりしない。

検索エンジン上位の人々の文章に僕が勝てる気がしないから、というより彼らの文章が綺麗だから僕の文章ではと感じてしまう。

僕の旅は他の人と似ているのかどうかわからないが、毎日のように観光しているわけではない。

観光はお金がかかることなので長期間の旅をする人にとっては難しいことだとおもう。

僕は一日中部屋から出ないことも多いし、外に出ても人とたくさん話すということもない。

僕は東京に住んでいた頃に軽いうつ病になっていた。

正直僕は体に不調が多すぎると気がつくまでは感じなかったのだけど、周りからはよくわかるくらいだったらしい。

でも、

そもそも僕は昔から人と関わるのが上手いタイプではなかった。親戚と会うときはかなり緊張していたし、僕は体が小さい頃から細かったため毎回会うたびにそれを言われるのが嫌だった。

だから大きくなるにつれてそのような集まりには行かなくなった。

東京で働いている時もそうだ。

同期から飲み会に誘われても全て断るくらいの勢いで行かなかった。

だから、社内でも僕は変わり者扱いをされていたのは僕も気がついていた。

自分では内向的だと思っているのに周りからは外交的だと言われることも多かった。実際は僕が無理をしてそのように見せていたのかも知れない。

周りの評価や意見に振り回されている自分も嫌で、周りとうまくやるために自分を削る自分も嫌だった。

だから僕は一人旅に憧れたのかも知れない。

簡単には人は変わらないが、一人旅に出ると自分は自由になっていると表面的には感じることができる。

こうやって異国の地から日本語で日本に自分の文章が届けられるのもかなり幸せだとおもう。

今僕はインドにいて、ここの人々は地下鉄でも、スタバでも僕に初めはヒンディー語で話しかけてきます。英語を話したかと思うと訛りが酷過ぎてもはや違う言語なのでは?と思うこともあります。

ここの人々は旅人に優しい人も多いです。地下鉄でインドは好きですか?と質問されたこともあります。ネットで出会った人々もインドが好きだと言わないと怒ります。僕はここが嫌いだとは思わないし、いい印象を持っている。でも、その質問をされるとかなり困ってしまう。

ここにいると自分が積極的になっていると勘違いすることもある。

ここでは意見ははっきり言わないとめんどくさいことになるし、ここの人々も迷惑は考えずにかなり図々しい、だからこそ僕にとっては言語を練習できるいい環境なのかも知れない。

旅は言語を学んだり、写真を撮ったり、文章を書いたり、時々人と話してみたり僕にとってはとてもいい時間なのだと思う。

僕はこれを書きながらこの生活がいつまで続けられるのだろうか?と考えてしまう。

終わらしたくないと本気で思う。これが僕の選んだ道だから。

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