毎日毎日イスタンブルのイスティクラル通りを歩いて写真を撮っていると、たまにその大通りから枝分かれしている小さな通りに興味をひかれる。
イスタンブルの街は大通りは綺麗にされているが、一歩小道に入ると全く違う感覚になる。
高級なヨーロッパ風の建物が多くあると思えば、今にも崩れてしまいそうな昔の木でできた建物があったりする。
古い物好きの僕にとってはとても魅力的な景色が広がる。
街のは多くの猫、犬が人と同じように生活していて、カフェや車のボンネットの上などで昼寝をしている。
賢い猫はカフェの椅子で昼寝をしていて、お客から撫でてもらったりご飯をもらっている。
これは一つのカフェの特権ではなくて、多くの店で自然と発生している。
野良猫が朝やってきては、同じ場所に陣取っている。
まるで、定年退職したおじさんのように毎日同じルーティーンを繰り返している。
僕はこんなのんびりした空気を感じるのがとても心地良い。
イスタンブルは昔から多くの観光客が訪れる都市だが、僕はここで多くの人が怒りの気持ちや悲しい気持ち、喜びや優しさを感じたと思う。
僕もその一人だ。
なぜなら、ここでは貧困も裕福とてもすぐそばにある気がする。
とても建物の古い住宅街には建物を見る限り建設されてから100年を超えている建物がざらにある。
その建物は主に木造建設で、外側は石でできていたりする。
見てる分にはとてもノスタルジックなのだが、たまに見える内装を見ると絶句してしまう。
とても狭い部屋の中に多くの家族が暮らしていたり、ほとんど外と変わらない感じに荒廃していたり。
でも、そんな家の隣にとても綺麗な金持ちのアパートがあったりする。
僕の滞在している地域では危ないから観光客は夜に外に出るなと言われた。
僕は昼間にこの地域を歩いてみた。すると、子供が雨の降っている中で道路の真ん中に寝ていたり、裸足でガラスの落ちているような道を歩いていたり、そこには貧困があった。
そこの人々はトルコ人なのかわからない人々も多かったが、それは本当にあった。
ここではそんな表と裏が顕著に現れている。
僕をきたばかりの時は多くの騙し手口を経験した。
例えば、靴磨きのおじさんはすれ違いざまにわざと僕の足元に道具を落とす。それを拾って声をかけるとお礼にと言って靴磨きをする。
その後、高額の料金を請求される。僕は一度この手口を経験した。
でも、もう二度目はない。わかってしまえば見破るのは簡単だ。
もう一つは有名な日本語で話しかけてくる人。
これはお店に連れて行かれる。
イスタンブルで学生をしているというとすぐに去っていく。
立て続けにこんなものを経験するとここを嫌いになる。
でも、ここはそれだけでないから多くの旅人を魅了するのかもしれない。
本当に親切にしてくれる町の人々や、気持ちのいい笑顔で接客してくれる店員さん。
一言では言い表せないくらいの感情が込み上げてくる。
僕はこうしてイスタンブルに少しずつ取り込まれていくのだと思う。