学校行きたくない。行きたくない。
僕の朝はいつもだるさと眠気と奮闘しながら始まった。
全寮制の美容学校に通っていた僕は入学してから約2年真面目に授業を受けたことがなかった。
授業中はよく寝ていたし、実技ではふざけた行動をして、友達と少し悪さをしては先生たちを困らせるような日々。
よく校長先生から退学通知を専攻されそうになっていた。
というのも僕は美容師になりたかったわけではなかったからだ。
ノリと勢いで決めた美容学校
高校卒業前に旅の本で1人の美容師がカットをしながら旅をしていた物語に憧れて髪を切れればこんなにかっこいい旅ができるんだと思ったのがきっかけで何も調べずに美容学校に進学した。
でも、入学してわかったのはここではカットの技術を学べないということだった。
美容学校は技術の習得というよりも国家試験を取るための知識を得る場所だ。
それに気がついた時にはもう遅い。
興味のないカラーやパーマの練習ばかりを毎日させられて僕は嫌になっていた。
辞めようとも考えていたのだけど、なんとか最後まで先生たちにお世話になりながらやり切った。
卒業してからというもの。
就職せずに僕は旅をしてばかりだった。
(2年間だけ数年経って美容師をやってみた。でもすぐ辞めた。)
旅先でのあることがきっかけで
そんな生活をしていたある日、僕はイスタンブールというトルコの大都市でボロ宿に宿泊しながら語学学校に通っていた。
朝から昼まで学校に通って、昼からは学校からの宿題をカフェでこなすという生活。
帰宅するといつもボロ宿の管理人や同じくそこに泊まっている人たちが共用部分で楽しそうに話している。
たまにそこに加わることもあった。
いつも同じ席に座っているお爺さんはトルコ人で話し方や内容を聞いているとかなりのステレオタイプだった。
日本が好きだ!というので話を聞くともう30年前くらいの日本の話を僕に聞かせてくれた。
おじいさんにとっては日本は今も30年前と変わっていないのだと思う。
YouTubeで見せられた日本の映像も10年以上前のものでそれが少しおかしかった。
そして、いつも隣に座っているおばさんはジョージア人でお爺さんの旦那さんなのだと。
彼女はとてもおしゃべりで、いつも気さくでおせっかいだ。
宿の管理人でもないのに僕に毎日のように足りないものがないか?と部屋の扉をノックしてくる。
扉を開けるといつもりんごを一つくれる。
そのおかげで僕の部屋には何日分かのリンゴが溜まっている。
そのほかにもトルコのビル管理人やジョージアのお姉さんがそこにはいつもいた。
ある時、夕方に学校から帰るとなんだか2人がジョージアのおばさんの周りに集まっていた。
なんだか不安げな話をしたり、クスクスと笑う声が聞こえたので僕もそこで足を止めた。
すると、ビルの管理人さんがジョージアのおばさんの髪の毛を切っていた。
髪を切ったことはないらしく、その辺にあるハサミでバサバサと大胆に斬髪していた。
案の定、おばさんの髪の毛は前髪がこけしのようになり、カットラインがパッツンになっていた。
隣で笑ってみていたジョージアのお姉さんも言葉では良い!と言っていたけど顔は少しひきつっていた。
僕も同じような表情でそれをみていた。
僕は見ていられず、僕が切るよと言ってしまった。
そこにはたった2年だけど美容師をやっていたという自信があったのかここで見せつけてやるとばかりに見栄を張ったのかわからないが、なんだかその時は自信があった。
道具は到底良いものではないけれどこれまで習ってきたことを思い出しながら切ると自分でも良いと思うくらいには切ることができた。
前が相当やばかったのもあり、僕が切った後にはおばさんは鏡を見て
「Waoooo」
とすごく驚いたような表情をしていた。
2年間美容師として人の髪を切っていたけど、この時ほど嬉しかったことはなかった。
おばさんは鏡を見て驚いたように言った。
「あなた本当に美容師なのね!私、日本の美容師に初めて切ってもらったわ!」
とても嬉しそうに周りに自慢するその姿を見ておばさんよりも僕の方が嬉しかった。
自分のしたことがこんなにも喜ばれるということが単純に嬉しかった。
僕は数年間なぜ美容師になんかなったんだと後悔していたけれど、部屋のベッドに寝そべりながら幸せを感じていた。
「美容師になって良かった。」
僕の中からこんな想いが出てくるなんて思わなかったけど、イスタンブールの安宿で全く道具のない中でたった一つのハサミを使って誰かを喜ばせることができた。
それだけで僕の中で美容師になって良かったと思わせてくれる。
旅をしていて大きなイベントが起きるわけではないけれど、こんな日常の些細な出来事で旅も美容師もしていて良かったと思う。
これもイスタンブールでの良い思い出の一つだ。