浅草は東京を日本にしてくれる場所。
最初に僕がこの言葉を言ったのは僕の日本のイメージが寺院や自然が豊かという印象があるからだ。
でも、日本にはテクノロジーが発達しているというイメージもあるかもしれない。
SNSで日本の写真を見ていると穏やかそうな住宅街の写真や新宿や渋谷などのビル群の写真が多い。
これは外国人が2番を撮った場合で日本人が日本を撮る場合、海や自然が多い観光地などもかなり多くなってくる。
僕の視点は日本人なのでかなり日本人寄りの見方をしている。
僕が沖縄から東京に来た時、東京はビルばかりでつまらないと感じたことがあった。
僕がイメージしてる日本というのは独特な自然に独特な街が広がっているなど少し偏った考えなのかもしれない。
だから、東京は同じような建物が多くある便利な街というイメージだった。
そんな中でも、浅草だけは僕に日本っぽさを感じさせてくれた。
僕の中では東京といえば新宿や渋谷と並んで浅草が頭の中に浮かぶ。
浅草で今回写真を撮り歩きながら、僕が浅草を日本っぽいと感じた写真を見せられたらと思う。
浅草の写真
浅草の歴史を軽く調べればこの町が市民のために開かれたコミュニティの場だったことがわかる。
この寺の周りに居酒屋や娯楽施設が今も多くあることを考えれば江戸時代も今と同じように人々がここへ通って参拝の後に知り合いや店に集まった人同士で交流を楽しんでいたのではないかと思ってしまう。
今もここでは浴衣や着物を着て多くの人が行き交っている。
確かに観光地化して同じような店が連なっていたりもするが、ここは人が多く集まるコミュニティの場所であることに変わりはない。
この町ではカメラを握りしめて歩いていると多くのドラマチックな瞬間をよく見かける。
カップルが楽しそうにいちご飴を買おうか悩んでる姿、外国人が浴衣を着て日本を体験してる姿。
狐のお面を被って通りを歩く人。
仲見世通りから外れた通りで楽しそうに食事をする人たち。
数十年前と変わらずこの町を自転車で駆け巡る老人たち。
何度も足を通ううちに浅草という町が見えてくる気がした。
東京というビルやマンションでひしめき合う大きな土地にいまだ伝統的なこのような場所が残っていることに感謝したいと思う。
多くの学校が修学旅行で京都に行くのは子供達に京都の伝統的な歴史的文化財を見せてこれが日本なのよと理解させたいからだろう。
東京に修学旅行に行くというのはあまり聞かない。
日本人の日本に対するイメージはやはり京都のような伝統的な姿なんだと僕は思う。
だから、東京の中で浅草が僕は好きだ。
東京にいても日本の伝統文化を体感できるのはなんだかいいなと思った日だった。